【第二章】方針転換!人間を賢くしてくれる機械を作ろう
※この記事は2018年5月28日に投稿されたものです
どうも、Amazon大好きなたけCです。
ふと思い立ちまして、昨年(2017年)一年間でどれくらいAmazonで買ったか?を計算してみました。一体いくら使っていたでしょうか?
ちなみに私はプライム会員。アメリカアマゾンのデータですが、プライム会員は年間平均1,100ドル(約11万8千円)を使うそうです。。。で、計算の結果2017年に私がアマゾンに貢献した売上金額は
51万0804円
でした。うぅ年収の半分が家賃とアマゾンに使われてるってことか。(今年は引っ越しにより家電などを買ったためにすでに20万超)ついに海外アマゾンの商品を日本円で買えるようになってしまったので、さらにAmazonへの貢献度が増えてきそうです。
【連載企画】AIの歴史を紐解く!
3月から私のブログでは、今もっとも熱いトレンドワードのひとつである『AI』(人工知能)について、歴史の観点からその正体を探ってこう、という連載企画になっています。
もし初めから読みたい!という方は以下からどうぞ。
【序章】今さらだけどAI(人工知能)が怖いから歴史を紐解いてみる
【第一章】人間は、心を作れるのか?コンピュータの生みの親たち
【第二章】方針転換!人間を賢くしてくれる機械を作ろう ←今ここ
前回の第一章では、人工知能=コンピュータというネタバラシから始まり、コンピュータの3人の生みの親について解説しました。この親たちは3人とも「人間と同じように考える機械」を作ることを目的とした結果、コンピュータを生み出したのです。
そして今日は第二章として、ようやく誕生したコンピューターがどのように進化してきたのか?という歴史を振り返りましょう。「人工知能(Artifical Inteligence)」という言葉も歴史上初めて登場しますが、残念ながら歴史の流れは人工知能の進化を望まなかったようです・・・
過去60年間で、AIブームは3度起きている
この連載をはじめたきっかけは現在が第三次AIブームに突入したからです。「第三次」ということはすでに二回もブームがあった、ということですね。
このAIブームについてはすでに多くの記事がネット上で見ることが出来ます。『人工知能 ブーム』と検索してみてください。
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と言って、すぐに検索する人は30人に1人もいないでしょうから、このまま説明してしまいますね。
第一次AIブームは、夢を語るにとどまる
詳しくはこのあとで説明するのでザッと概要のみをお伝えしましょう。
最初のAIブームは、コンピュータの活躍により第二次世界大戦が終息した後から始まりました。人間以上の計算能力をもったコンピュータを使えば、「人間と同じような考え方で、人間と同じ様に問題を解決できる」ようになるのではないか・・・という期待が集まったからです。
事実、当時(1950年代)にはニューラルネットワークに関する理論は確立していました。ニューラルネットワークとは現在の機械学習の主流でもあり、人の脳の仕組み・・・つまり脳神経細胞であるニューロンへ送られる電気信号のパターンによって記憶したり計算したり学習していく仕組みと同じものを人工的に構築したものです。
・・・よく分からない?
ですよね。今はまだニューラルネットワークそのものの仕組みを知る必要はありません、これから連載を読み続けていく中で徐々に理解してもらえるようにしようと思います。
大切なことは、当時のAIブームを牽引したニューラルネットワークというものを搭載したシステムが存在すれば、まさに人工的に人間と同じ思考回路を持つ機械を作れたということです。
しかし当時のコンピュータ技術では実現できるわけもなく、、、最高峰の頭脳が集まった末に開発したシステムで出来たことといえば、簡単な迷路やパズルといったおもちゃレベルの問題解決にとどまっていました。第一次AIブームは科学者たちが人工知能の夢物語を語るだけで終わってしまったのです。
ニューラルネットワーク、つまりこういうこと
第二次AIブームは、教師不足のため育たなかった
夢物語に終わった第一次ブームから、AIに光をもたらしのはエキスパートシステムの登場でした。
英語でexpert(エキスパート)は日本語では専門家という意味。例えば、医者や弁護士といった特定の分野において大量の専門知識を有していて、特定の分野の問題解決ができる人たちのことですね。1970年代に開発され、商業的に実用化までされたエキスパートシステムの登場によって第二次AIブームが訪れます。
エキスパートシステムを簡単に説明しましょう。
イメージしやすいのはお医者さんの問診です。「頭は痛いですか?どのあたりが?」「耳鳴りはしますか?」「普段の仕事はどんな環境で?」「これまで入院や手術をしたことは?」といった質問を繰り返すことによって、「後頭部が痛いということはA〜Dの可能性があるが、」「耳鳴りがないのでCは除外できる」といったようにして患者が訴えている病気を専門家に代わって調べることができるシステムです。
すげーーー!って思いました?
そうすごいんです、このシステム。まさしく人工知能と言って差し支えないんじゃないのかとも思えます。ある欠点を除けば・・・その欠点とは大量かつ明確なルール(いわゆる教師データ)を与えなければならない、という点でした。
また問診を例にとりましょう。エキスパートシステムは確かに教科書的な答えを導くことは可能です、が例外を考慮することができません。すでに知っているルールに則って機械的なYES/NO判定を繰り返しているだけですので応用が効かないのです。
また医療や法律に関してはまだ明確なルールや過去の事例が数多くデータとして存在していますが、これほどデータが揃っている仕事というのはごく一部。企業の問い合わせ対応であったり、宅配便の配送する順番といった明確なルールがなかったり事例が少ない分野では、教師データが少ないためにエキスパートシステムを構築することができなかったのです。
エキスパートシステムを搭載したパソコン
過去のAI、お前たちは弱いのだ
第一次AIブームでは夢と理論は持ち得たものの、技術力不足のために世間から見放されるようになり。第二次AIブームでは画期的なシステムが出来上がったものの、データを十分に集めることができず広がりを見せることはありませんでした。
さて、AIには強いAIと弱いAIというものがあります。聞いたことないですか?
強いAIとはまさに人間の脳と同じ様に、汎用的に考え・学び・対応できる人工知能のことです。
言うまでもないことですが、
私たちは犬と猫の写真を見分けることができますし(画像認識)、
イントロクイズで誰の曲かを言い当てることができますし(音声認識)、
株価のチャートを見て売買するタイミングや金額を判断することができます(将来予測)。
つまり一つの脳で複数の目的を達成することができる、これと同じことができる人工知能を強いAIと呼びます。
一方、弱いAIは目的が限られている人工知能です。
アンパンマンとコロ助の画像を見分けるためには画像認識用のAIを使わないといけないですし、
アンパンマンのマーチとはじめてのチュウを聞き分けるには音声認識のAIを使う必要があります。
証券取引所には証券取引用のAIじゃないと役に立たないですし、
保険会社の問い合わせ対応するために旅行会社の問い合わせ対応するためのAIを使ってもちんぷんかんぷんな答えが返ってきます。
これまでのAIが限られた分野にしか適応できない問題をフレーム問題と呼びます。限られた枠(フレーム)の中でしか役に立たないからですね。
しかし、現在のAIブームはついに強いAIをつくることができるようになったのではないか!という点で注目を浴びています。
なぜ、わたしたち人類は弱いAIを強いAIに育てることができたのでしょうか?そのためには3つのピースが必要だったのですが、そのうちの1つが今日のテーマです。
AIは冬の時代へ、パソコンは春の時代へ
時は1956年、場所はアメリカのダートマス大学。
人工知能をテーマにすえた学術研究会議が開かれました。中心人物となったのは、コンピュータの生みの親の一人であるクロード・シャノン。と、シャノンの弟子であるマービン・ミンスキーとジョン・マッカーシーです。
Artificial Inteligence(訳:人工知能)という言葉が生まれたのもこの会議です。
この会議に参加した科学者たちは約2ヶ月をかけて、人工知能の可能性や未来の構想を語り尽くしました。人工知能によって将来達成されるであろうこと・・・例えば次のようなものです。
・チェスで世界一となる
・チャットによる心理カウンセリングが行える
・ニューラルネットワークによる自律的で汎用的な学習
・医師や弁護士などの専門家の判断を助ける
・仮想現実にある積み木を自然言語により処理する
今ではこれらすべてが現実のものとなりました。
が当時ではあくまで夢物語。人工知能という言葉を誕生させ、一世を風靡するAIブームを巻き起こしたダートマス会議ですが、実現性が伴わないために世間の注目は別のところにうつろいでいきました。
大きなのっぽのコンピュータ
なぜダートマス会議で提案された人工知能の可能性は達成されなかったのでしょうか?
課題は明白。当時のコンピュータの演算能力が低かったからです。
ここで当時のコンピュータを見てみましょう
世界初のノイマン型コンピュータ『EDSAC』
まるでスタートレックの宇宙船基地のような、まるでガッチャマンの基地のようですが、これが一台のコンピュータです。当時のコンピュータは真空管によって電気信号を制御していました。
覚えているでしょうか?コンピュータは0と1の組み合わせ(ビット)によって計算をします。そして0と1の組み合わせは、真空管による電気信号の制御で実現していたのが当時のコンピュータです。つまり、真空管を多く積めば積むほどに高性能になり演算能力があがります。
そう当時のコンピュータは大きくなれば大きくなるほどに高性能になる仕様だったんですね。ですので、人工知能の研究をしていた人たちはいかにコンピュータを大きく、そして高性能にしていくかを考えていました。目的は「人間と同じぐらい賢い機械を創る」ためであり、その手段として 「より大きく、より専門的な研究者が使うためのコンピュータの開発」 を目指していたのです。
しかしこの方向性は間違っていました。
なぜなら、コンピュータは小型化し、ふつうの個人でも使えるようにしていくことこそが高機能化への近道だったからです。
人間の思考を手助けする機械としてのパソコン
パソコン。略さず書けば、Personal Computer(パーソナルコンピュータ)ですね。
現代の日本では家庭に少なくとも1台、職場では一人に1台のパソコンがあることは当たり前になりました。まさしくパーソナルなコンピュータです。
すでに書いたとおり、1960年代のコンピュータとはあまりに大きく、あまりに重く、あまりに高価であったため、利用できる人は政府や軍といった団体、あるいは大学の研究者だけでした。そんなコンピュータをビジネスマンでも使えるようにしたのが、ダグラス・エンゲルバートです。
ダグラス・エンゲルバートは マウスの発明者 として有名ですね。彼が1968年にサンフランシスコで行ったデモンストレーションは伝説として語られるほどの衝撃を残しました。
彼が行ったデモンストレーションとは、GUIによるコンピュータの操作。ひとつのディスプレイ、そこにキーボードによって文字を打ち込む、マウスで図形を描き、文字を選択できるというもの。さらに文書同士をリンクして管理し、共同編集を行う様子までも披露したのです。
・・・当たり前?
そうですね、今の私たちからするとあまりに当たり前で、あまりにふつうの行為です。しかし、それまでコンピュータというのは非常に大きなサイズにも関わらず、一つの目的のための機能しかもっていなかった時代です。今のパソコンのようにディスプレイがあり、マウスとキーボードによって誰でも自由に文字や図形を扱って汎用的な問題解決に使えることを示したデモンストレーションはあまりに画期的です。
そして彼はこう言いました。
「もし我が国のオフィスワーカーたちがこのようなコンピュータ画面を与えられたら、一体どれほどの価値を生み出せるでしょうか?」
「人間と同じような賢さを持つ機械」を目指して生まれたコンピュータが、「人間の思考を手助けする機械」として進化する転換点となった瞬間でした。
小さい、安い、速い、それがムーアの法則
『ムーアの法則』・・・コンピュータの演算能力は2年で2倍に伸びていく、という予言めいた法則です。その名から分かる通り、この法則を提言したのは世界最大の半導体メーカーであるインテルの創業者ゴードン・ムーアです。
と言いたいのですが、実はムーアの法則の元ネタはゴードン・ムーアではなく、先ほど紹介したダグラス・エンゲルバートなのです。
ダグラス・エンゲルバートが伝説のデモンストレーションを行う数年前にある講演を開きました。その講演ではICの集積化によるメリットが語られていたのですが、それを聞いたムーアが「これからはICチップの時代が来る」と確信し、仲間とともに設立したのがインテルという半導体の会社なのです。
それでは、ムーアが起業するきっかけとなったICの集積化によるメリットとは何でしょうか?ここを丁寧に説明してしまうと大学の講義のようになってしまうので、大事なポイントだけかいつまんで凝縮して説明しましょう。
・ICとは真空管に変わって発明された、コンピュータの計算能力を左右する頭脳にあたるパーツです。
・ICは非常に小さなチップであり、そのチップの中に0と1を制御する部品が数万や数億といった単位で設置されています。
・ごくごく限られた面積の中に多くの部品を設置する(これが集積化)ことにどういったメリットがあるのかというと、ひとつは使う材料費が減るためより安価にひとつのICを作ることができます。
・さらに部品と部品との距離が短くなることで電力の消費量を抑えて、かつ通信速度を高速化することができます。
これがIC集積化のメリットです。つまり、ICの密度を高くすればするほど、サイズが小さく、材料費が安く、処理速度が速くなるというメリットです。そのメリットを最大限に活かすためにインテル社では、ICの密度を2年で2倍にすることを開発目標に掲げたのがムーアの法則となったわけです。
真空管→トランジスタ→ICチップ
パソコンの誕生、そしてあの男が現れる・・・
話をエンゲルバートの伝説のデモンストレーションに戻しましょう。
ここにも一人、エンゲルバートから大きな影響を受けて、コンピュータの歴史を書き換えた人物がいます。彼の名はアラン・ケイ。
アラン・ケイはパーソナルコンピュータという言葉を生み出した人物であり、パソコンの原型を開発したとも言える人物です。彼は卓上で使える小型のコンピュータの開発に取り組んでいた時期に、エンゲルバートのデモを見たことでパーソナルコンピュータのイメージを完成させていったのです。
コンピュータとパソコンは似て非なるもの
言葉だけではパーソナルという形容詞があるかないかだけの違いに見えますが、実際にはそのコンセプトにはあまりに大きな違いがあります。
従来のコンピュータとは計算能力の高い機械のことであり、特定の分野における課題解決に特化した機能が備え、それを扱うためには人間側にも高度な知識が求められるものでした。一方でパソコンは、現代の私たちが使えている通り、その操作に特別な専門知識は必要ありません。それに特定の課題解決に用いるのではなくて、もっと汎用的に何でもこなすことができるようになっています。
例えば文章を書いて、保存し、他のパソコンと共有する。
会社の経理のような計算が伴う処理を一瞬で正確に処理し、後から一部の計算を修正することができる。
イラストを描いたり、写真を編集したり。
音楽を流したり、気に入ったものはコピーして別の機械で聞けるようにしたり・・・
仕事やプライベートを問わずに様々な用途に使えるようになっている。
こうした扱う人を選ばない汎用的な機能と操作性を備えて、かつ卓上におけるほどに小型化に成功したはじめてのパーソナルコンピュータとよばれるものが、アラン・ケイが開発したダイナブックです。
ケイは当時ゼロックスの研究所でこのダイナブックを開発したのですが、コピー機の開発・販売が主体であるゼロックスはパソコンが持つ価値に気づいていませんでした。
ある日、ケイがダイナブックのデモを行っているところにある一人の起業家が立ち止まりました。彼はそのデモを見終わったあとにこう言い放ちました。「この会社はなぜダイナブックを発売していないんだ?何が起きているのか分からん。」
まさにiPadのような構想だったダイナブック
パソコンが持つ価値にいち早く気付いたこの起業家こそがAppleの創業者スティーブ・ジョブズです。
果実は熟した。アップルが切り開いたパソコンの時代
スティーブ・ジョブズ。Appleの創業者であり、今や私たちの生活に欠かせないスマホを普及させた第一人者。ですが、パソコンを世の中に普及させた第一人者でもあります。
小型化に成功し政府機関や研究者以外でも扱うことができるパソコンとして最初に発売されたのがAppleのアップルⅠ。さらにアップルⅡで大成功を収めました。その時はまだパソコンというジャンルは存在しておらず、マイクロコンピュータあるいはホームコンピュータと呼ばれていました。従来のコンピュータがいかに大きく、一般家庭では普及していなかったかがよくわかります。
小型コンピュータの分野はAppleの独壇場ではありましたが、その市場に現れたのが大型コンピュータの雄であったIBMです。片や新進気鋭の起業家が率いるスタートアップのアップル、片やコンピュータ市場のブランドをすでに確立していた大企業のPC。
IBMのPCはあっという間にアメリカのオフィスワーカーに導入されていき、アップルのシェアは急速に落ち込んでいきます。そんな時期に見つけたのがアラン・ケイのダイナブックだったのです。
その後、ジョブズは新しいパソコンの開発を紆余曲折ありながら進め、1984年ついにマッキントッシュを発売したのです。
AIブームとパソコン開発、歴史から分かること
こうしてパソコンが誕生し普及するまでの歴史を振り返ってみましたが、お気付きになりましたでしょうか?AIブームの歴史とパソコン開発の歴史が似通っているということに。
ここから今日の記事の振り返りです。読み飛ばした方はここだけでも読んでおいてください。
今は3度目のAIブーム真っ只中ではありますが、これまでのブームとは大きく違う点があります。過去2度のブームはいづれも弱いAIが注目されていましたが、今のAIブームでは強いAIが注目されています。
弱いAIとは目的が限られており、特定の分野でのみ活躍できる人工知能。強いAIとは汎用的な分野で活躍できるまさに人間の脳と同じような人工知能です。言い換えれば、 限られた人間だけが活用できるAIから、ふつうの人でも扱えるAIに進化しようとしています。
パソコンの歴史はどうでしょう。当初は人工知能として機械自身が賢くなることを目的のために作られたコンピュータは、あまりに大きく、特定の分野のことにしか扱えず、扱える人にも専門知識が必要なものでした。しかし、コンピュータ自身が賢くなるのではなく人間の手助けをするツールとして進化を始めると、サイズは小さく、汎用的に誰でも扱えるパソコンが誕生するようになりました。
残念ながら1950年代〜1980年代にかけては人工知能を実現することは到底叶いませんでした。しかし皮肉にも、人工知能になることを諦めたコンピュータはパソコンへと進化する過程において、人工知能の実現に必要なピースのうちのひとつである高い演算能力を得ることができるようになったのです。
第二章「完」。舞台は一気に現在へ
これで連載企画『AIの歴史を紐解く』の第二章はおわりです。
いかがでしたでしょうか?今回は歴史的に重要なテーマが多くあったため分かりづらさが残ってしまった点がいくつもあったかもしれません。しかしご安心ください、次回からは歴史の舞台は一気に現代へと進みます。
本当の意味の人工知能、強いAIが誕生するために必要な3つのピースのうちのひとつである高い演算能力を手に入れたコンピュータ。2つめのピースを手に入れるために新たな世界を生み出します。それは雲のように世界全体を漂い、蜘蛛の巣のように相互的に張り巡らされた電子的な世界、、、インターネット誕生の歴史です。
次回、『【第三章】誕生、サイバー空間に漂う巨大な頭脳』は6月中にお届けできるよていです。お楽しみに!
【序章】今さらだけどAI(人工知能)が怖いから歴史を紐解いてみる
【第一章】人間は、心を作れるのか?コンピュータの生みの親たち
【第二章】方針転換!人間を賢くしてくれる機械を作ろう ←今ココ
【第三章】誕生、サイバー空間に漂う巨大な頭脳
【第四章】60億人が知識を共有する最後のワンピース
【第五章】ついに姿を現す人工知能。彼らは人間の味方か、それとも
【最終章】20年後の近い未来。そして人類は何から解放されるのか