バルス祭りの首謀者ムスカが「バルス」を言わせてしまうまでに犯した3つの失態
※この記事は2017年10月24日に投稿されたものです
iCARE公式ブログをご覧のみなさま、おはこんばんちは。
ロナカノ・パロ・ウル・ラピュタ、通称「偽りのラピュタ王」です。
最高の通称だと思わんかね?
閑話休題、先日の金曜日、這々の体で帰宅をした私が、ふとテレビをつけたときに目に飛び込んできたワンシーン。これはこれは、金曜ロードショーで『天空の城ラピュタ』が上映されてるではないか。
シーンはクライマックス。そして、あの一言が飛び出す。ふむふむ、久方ぶりに目にするとなんだか感慨深いなぁと思ったその時、地上ではこんな現象が。
「バルス!」
その一言が解き放たれた9月29日23時23分の1分間で、同じく「バルス」とツイートされた量は23万7295件。放送終了までに投稿された「バルス」は75万9242件。
私は目を疑った。作中で絶対に使ってはいけないとされる滅びの言葉が、「国の内外、天地とも平和が達成される」という意味を持つ平成の世で、まるでゴミのように使われている様子を。この平和な世の中が、一瞬で乱世に変わろうとでもしているのか。
しかもその「バルス」の量は、例年よりも少なかったと来てる。私から言わせると、乱世に変わらんとも思しきモーメントを、冷静に分析をして「バルス祭り」と愛称までつけてしまっているメディアさんもメディアさんだ。
何より、あの状況であの一言を言わせてしまったムスカは、「バルス祭り」を引き起こしたA級戦犯以外の何者でもない。ムスカが阻止できなかった天空の悪夢が、地上でとんでもない祭りと化して大流行しまっている。そしてこの祭りは、ラピュタが放送される度に未来永劫続くに違いない。永久にA級戦犯だ。
ムスカはどうして「バルス」を防ぐことができなかったのか。どうして真のラピュタ王ではなく、「バルス祭り」の首謀者として君臨する羽目になってしまったのか。そこにはムスカのこんな失態があったのではないか、という私の考察をこれから披露するとしよう。見せてあげよう、私の考察を。
失態①:逃げる小娘を歩いて追いかけちゃった
飛行石を奪われたムスカは、走って逃げるシータを徒歩で追いかけてしまった。そのうちに速度を上げたかと思いきや、なんと早歩き。これは明らかにまずかった。
上図は、ようやく走ってシータを追いかけ始めたときのシーンだ。ご覧になったら分かる通り、腕がしっかり振れていて、ダイナミックなフォームな走り方をしている。せっかくの綺麗なランニングフォームを会得しているにも関わらず、走り始めるのが遅いという危機感の欠如が、今回の失態を招いている。
失態②:大砲を持って現れた小僧を見くびっちゃった
危機感の欠如に引き続き、大砲を持った小僧への過小評価が、失態の2つ目として挙げられる。クライマックスまでにムスカとパズーは顔を合わせており、少なからず警戒すべき存在である小僧への見くびりが、上図のシーンで見事に露わとなっている。
ついでに断言しておこう、これは大砲ではない。拳銃には見えないにしても、どう見たって大砲ではない。その点においても小僧への侮りを伺い知ることができる。
失態③:3分待っちゃった
そして最大の失態がこれだ。なぜだ、なぜ3分待ってしまうんだムスカよ。
二人っきりで話がしたいと目の前の敵が交渉をしてきて、二つ返事で「いいよ」と言ってしまう大佐がどこの世界にいると言うのか。元来より手荒なマネはしたくない主義を豪語してはいたが、いくらなんでも侮りに染まりきった判断ではないか。何度でも蘇るのは、ラピュタではなくムスカの侮りであると言わざるを得ない。
以上が、ロナカノ・パロ・ウル・ラピュタの考察である。
まあまあ図星だと思わんかね?
番外編:バルス後のムスカ
この世に「バルス」を解き放ち、バルス祭り旋風を巻き起こした首謀者のムスカだが、眼鏡を失ったムスカが「目がぁー、目がぁぁぁ」と言ってふらふらしているシーンが、多くの方々は最後の登場シーンだと思っているのではないだろうか?
知る人ぞ知る雑学であるが、実はムスカの最後の登場はこのシーンなのである。
おわかりだろうか?
逃げる小娘を徒歩で追いかけ、大砲を持って現れた小僧を見くびり、その敵たちにのうのうと3分をくれてしまう、大佐兼ラピュタ王兼バルス祭りの首謀者ムスカは、ここに登場しているのだ。
ガレキにまみれてムスカが墜落している。
逃げる小娘を徒歩で追いかけ、大砲を持って現れた小僧を見くびり、その敵たちにのうのうと3分をくれてしまう、大佐兼ラピュタ王兼バルス祭りの首謀者である、あのムスカが、背中を向けてゴミのように墜落しているのだ。最高のショーだと思わんかね?
次回、この平和な地上でバルス祭りが開催されるその日にでも、みなさんにはこのムスカの姿を視認して頂きたい。
終点が豆知識とは、上出来じゃないか。