平成の終わりに去っていくヒーローたち
※この記事は2019年3月26日に投稿されたものです
みなさん、こんにちは。iCAREの小美濃です。
先日イチロー選手が引退を表明しましたね。
野球ファンでなくても、知らない人はいない選手で、
まさにスーパースターでした。
私も野球をやっていたので、子供の頃とても憧れていました。
右腕を伸ばしてバットを立てるあの構えは、
野球少年だった方々は一度は真似したことでしょう。
イチロー選手以外にも平成最後のシーズンに引退を表明したヒーローがたくさん
いました。今回はそのヒーローたちについて書きたいと思います。
※独断と偏見で選んでいます。
平成の最後に引退を表明した平成のヒーロー
1.イチロー選手
主な記録
NPB
首位打者 1994年〜2000年(7年連続7回)
打点王 1995年
盗塁王 1995年
MLB
首位打者 2001年、2004年
盗塁王 2001年
独特の振り子打法から数多くの安打を放った、まさに安打製造機。
卓越したバットコントロールから生まれる内野安打が印象的ですが、
長打力も魅力的でした。レーザービーム、背面キャッチなど守備力も
超一流で走攻守全てにおいて異次元の選手でしたね。
すごすぎてイチロー選手には数々の逸話が!!
有名なものだと
3打数5安打は当たり前、3打数8安打も
相手の攻撃中に2安打
イチローが三振すると緊急警報放送が流れる
イチローがエラーをすると世界恐慌が起こる
などなど。
2.松井稼頭央選手
主な記録
NPB
盗塁王 1997年〜1999年(3年連続3回)
最多安打 1999年、2002年
最優秀選手 1998年
スイッチヒッター、ショートストップ、スピードスターというS3つの要素を
もった選手は、漏れなくセンスの塊でイケメンという法則。
それを代表する選手でした。
私が初めて野球を観に行った試合でもホームランを打ち、
野球を始めるきっかけとなりました。
みんな大好きパワプロくんで、オールAに最も近い選手だったと思います。
メジャーにも挑戦した松井選手。引退の年となった2018年に
古巣の西武ライオンズに復帰し、西武は10年ぶりの優勝。
やはりスーパースターは最後まで「もっている」という印象でしたね。
3.岩瀬仁紀選手
主な記録
最優秀中継ぎ投手 1999年、2000年、2003年
最多セーブ 2005年、2006年、2009年、2010年、2012年
通算登板数、セーブ数日本記録(2019年3月現在)
中日一筋20年の大ベテラン。冷静で厳しい落合監督に
「岩瀬が打たれるのなら仕方がない」と言わしめるほど信頼される守護神でした。
岩瀬選手の代名詞といえば、分かっていても打てないと言われる
伝家の宝刀「スライダー」。
まじでエグい変化量でした。
パワプロでいうと変化量8ですかね。デッドボールの位置にカーソル動かしても
ストライクゾーンに入るぐらいです。
岩瀬選手が9回のマウンドにあがると、敵チームのファンは1点差でもその試合を諦めて、帰るといわれるほどでした。
4.新井貴浩選手
主な記録
本塁打王 2005年
打点王 2011年
最優秀選手 2016年
2000本安打達成
広島県広島市出身、広島カープ優勝の立役者となりました。
元阪神タイガース金本選手を兄貴分として慕っていました。阪神時代には金本選手から
めっちゃイジられてるのが印象的でした。
新井選手といえば毎年オフに行う護摩行が有名です。終わった後は顔がやけどだらけになっていましたね。
選手としては好不調の波が激しく、良い時は手をつけられないくらい、不振になると怖さがなくなるという印象でしたが、一度成績が落ち込むと復活できない選手が多い中、
きちんと立ち上がりまた活躍するというのが新井選手の魅力でした。
パワプロだとパワーA〜Bで調子マークが紫やらピンクやら変動しやすいという感じです。あと追いこまれるとカーソルが小さくなる「三振」持ちです。
4.吉田沙保里選手
主な記録
世界大会16連覇
個人戦206連勝
アテネ、北京、ロンドンオリンピック 金メダル
国民栄誉賞受賞
ご存知「霊長類最強女子」。代名詞はなんといっても高速タックル。
これだけ勝ちまくっていると当然いろんな選手から研究され、対策されますが、吉田選手のタックルは分かっていても防げない、回避不可能なレベルに到達したそうです。今年1月に惜しまれつつ引退を発表しましたが、個人的にはRIZIN参戦を期待しています。
漫画「刃牙」の世界では範馬勇次郎、ビスケット・オリバ、純・ゲバルのいずれかが時速4キロ以上で動くと米国の軍事衛星の緊急作動によって世界中のカーナビの位置情報が70メートルずれると言われていますが、もし現実世界でGPSがずれたら、アレクサンドル・カレリン、マイク・タイソン、吉田沙保里のいずれかが時速4キロ以上で移動したと考えるのが妥当です(笑)
吉田選手には、「同階級の選手が階級を変えた」、「合同練習を申し出た外国人選手がハードすぎて帰国した」という強さを裏付けるエピソードがあります。
5.宮田和幸選手
主な記録
レスリング シドニーオリンピック日本代表
全日本レスリング選手権大会 優勝
MMA 15勝9敗1KO 一本勝ち8
通称ヘラクレス。彫刻を思わるようなバッキバキボディです。
誰?って思った方、「山本KID 4秒」と検索してください。
やられてたほうが宮田選手です。 去年亡くなったKID選手との試合映像があまりにも有名で何度も使われているので、そのイメージが定着していますが、卓越したレスリングテクニックや圧倒的なフィジカルの持ち主で国内MMA中軽量級のトップ選手でした。試合自体はタックルでテイクダウンを奪い有利なポジションをキープする堅実なスタイルが多かったですが、前日の公開計量では盛り上がりNo.1の選手でした。
そんな宮田選手は昨年の大晦日が引退試合となりました。
対戦相手は山本アーセン選手。山本KID選手を叔父に持ち、KID選手の意志を継ぐ選手として期待がかかる若手のホープです。私も現地で観戦しました。
試合開始直後に両者飛び膝蹴りという粋な演出?がありました。
最後はアームロックで宮田選手が見事に一本勝ちし有終の美を飾りました。
宮田選手は現在「BRAVE GYM」を運営しています。中でも埼玉県三郷市の拠点は国内最大級の広さがあり、そこで後輩の育成に注力しています。BRAVE GYMの選手はレベルが高く、今後世界と渡り合える選手の輩出が期待されています。
5.ミルコ・クロコップ選手
主な記録
PRIDE無差別級GP 2006王者
K-1 World GP 2012王者
RIZIN無差別級GP 2016王者
MMA 38勝11敗28KO 一本勝ち6
キックボクシング 23勝8敗11KO
通称ターミネーター。この写真がミルコ選手のことを雄弁に語ってくれています。
この「戦慄の左ハイ」がミルコ選手の代名詞です。このハイキックで数々の屍を築き上げてきました。ちなみに途中から急に野球選手ではなくなりましたが、最終的にミルコ選手のことをどうしても書きたかったので、こんな感じになりました。ミルコ選手だけで1記事分になるくらい書きたいことがたくさんありますが、そんなに興味がない方が大半だと思うので短めにします。
ミルコ選手はユーゴスラビアで少年期を過ごしましたが、当時紛争に巻き込まれ、友人を次々と失ったそうです。そんな中、強くなってみんなを守るために格闘技を始めたとのことです。ミルコ選手の試合中の殺気や、無表情で淡々と相手の息の根をとめる非常さ冷徹さはこの頃の命がけの経験からなのでしょうか。しかし、試合外ではファンを大事にし、記者からのインタビューもきっちり対応する人格者です。
2019年3月に脳卒中の診断を受け現役引退しました。ヒョードルとの引退試合を日本で行うことを期待していましたが残念です。しかし、現在石井慧選手がミルコ選手のもとでトレーニングを積んでおり、不可能と言われる日本人のヘビー級世界チャンピオン誕生に期待がかかります。
各界毎年引退するヒーローがいらっしゃいますが、今回は節目だからか、偶然か、平成を象徴する選手の引退が目立ちました。
多くの人に勇気や夢を与え続けた偉大なヒーローたちも1日1日を大切にしコツコツと記録を積み重ねてきました。私も日々の積み重ねを大切にしていきたいです。