資金ショートからの生還。CxOが語るiCARE10周年の裏側
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資金ショートからの生還。CxOが語るiCARE10周年の裏側

ビジネスに勢いは大切

- 創業したきっかけって何ですか?

山田「"健康管理 "という分野で解決したい課題は当時あったけど、それと勢いのどちらもかな。今思い返せば勢いのほうが勝っていたかもしれない(笑) ビジネスに勢いは大事でしょ!

とはいえ自分一人では到底解決出来ないし、アナログな業界だからこそテクノロジーの力で何とかしていかなければいけないと思って起業した。」

医者を辞めるつもりはなかった

- 医者よりも起業が向いていたから起業したんですか?

山田「ではないね。医者を辞めるつもりも当時はなかった。医者として医療に触れていく中で、予防医療に力を入れていきたいという確かな思いはあったのと、病気になってしまった後に病院だけで解決するのは限界があると感じていた。今"Carely(ケアリィ)"でやっているチャット相談を当時はLINEでやっていて、働いてから病気になるところを解決するよりも、病気になる手前で問題を解決した方が良いと考えていた。」

「俺がこう作りたい」だけでプロダクトを作っていた

- プロダクトが生まれたきっかけを教えてください

山田「2011年の6月、当時KBS在学中に同じスクールのメンバー2人とiCAREを創業して、労働者向けのテレメディスン(今でいうオンライン診療)を開発してた。今に比べたらプロダクトではないか(笑) その後に別のメンバーも参画して4人体制になったけど、創業メンバーもスクール生でそれぞれ別の道を歩んでいったので結果的にA氏と2人になった。

労働者向けの健康のサポートをしたいと思って、企画を練って2012年の3月に固めた。ただ、最初のその時代って怒りや憤りから起業しよう!という訳ではなく、どっちかというと"やりたい!”という思いが近かったのかも。

その”やりたい”が先行しすぎているせいで全てがプロダクトアウトだった。ユーザーヒアリングもなしに”こういうもの作ろう!”で突き進んでいたから、ことごとく大失敗の繰り返し。顧客が求めるものより”山田洋太が作りたいから」が一番大きかった。」

- なるほど。その後の会社の状況ってどうなってました?

山田「実際はそこから2年くらいリビングデッド状態で、自転車操業ですらない。俺は病院の再建の仕事を、相方は人材紹介のエージェントをやっていたのでほぼ放置の状態だった。

その後、さすがにまずいなと思って俺は病院を辞めて、A氏も本気を出して、2人で決起してフルタイムでやるようになった。まずはiCAREでの仕事を生業にしようと、産業医を企業に紹介する仕事を始めた。」

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たった1社にしか売れなかったCatchballというプロダクト

- プロダクトが生まれたのはいつですか?

山田「プロダクトを作ろう!となったけどもエンジニアがおらず、2013年の9月に"うつ病経験のあるWEBエンジニアの方大募集"という求人を出したら、それが大いにバズって日経新聞とYahooニュースに掲載されたんだよね。確か50人くらいエントリーしてくれてた気がする。ようやくエンジニアを採用出来て、Carelyの前身の"Catchball"というものを作った。

でもね、これがまた売れないんだよ!本当に売れなかった!(笑)
売れないせいで、稼いだお金は全てエンジニアの人件費に消えていって創業の2人は無給だった。5人のエンジェルに投資はしてもらっていたけど、あまりにも売れないせいもあって、2013年からの1年半くらいは3,4回くらい資金ショートしそうになってる。

唯一1社だけ売れてたんだよね。全く動かない当時のシステムを買ってくれて、今でも契約してくれてるってかなりのロイヤルカスタマーじゃん!ありがたい。」

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当時開発していたCatchball

青山一丁目のスターバックスで零した「もう辞めよう」という言葉

- 本気でやめようとおもった時ってありますか?

山田「2013年から続いた資金ショート問題がついに限界を迎えて、2015年の3月についに本当の倒産危機がきた。残高が13万円、人件費すら払えない状況になって、青山一丁目の交差点にあったスターバックスの2階で2人でもうやめようと真剣に話をした。今でも鮮明に覚えてるし、飲んだ飲み物の味も全く分かんないくらい切羽詰まってたなぁ。

その状態で山田の親友のB氏に相談をしたら、”この環境が良くない”と言ってくれて、救世主かもしれない!と思って必死にアプローチをして入社してもらった。今思えばそんな雇うお金なんてないのにね(笑) でもここで入ってくれなかったら再建はしていないし、俺自身も辞めてたから、かなりキーになる出来事だった。」

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当時の預金通帳残高

初めてのピッチ登壇、そこから全てが変わった

- B氏が入社して、具体的に何が変わった?

山田「彼が入社して一番変わったのは、資金調達に向けて動き始めたことかな。2014年に開催されたRising Expo 2014というピッチに出て、SMBC日興証券賞を受賞した。このEXPOに出たことをきっかけに、モデルを大きく変えた。今のCarelyクラウドの原型みたいなものをやっていたんだけど、そこからテキストカウンセリングを中心としたチャットサービスに寄せていった。

よかった点は、Carelyクラウドは今で言う大企業がほしいサービスで、中小企業だとまだ必要ないサービスなんだよね。中小企業は実際に産業医を派遣したりといったソリューションを求める傾向がある。何よりすぐ"解決"をしてほしいから。」

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Rising Expo 2014終了時

山田「このピッチがきっかけで、そこから2,30人の投資家に会っていって、ちょうどそこでインキュベイトファンドの和田さんと出会って1億円の出資をしてもらった。
愚直にやり続けている我々に賭けてくれたのは大きかった。俺はVCなんて全く分かんなかったから、最初は胡散臭いな、騙されてないかなと思ってたけど!(笑)」

毎日がトラブルの嵐で胃が痛かった時代

- 初代Carelyリリースまでの流れは?

山田「1億円を出資してもらったタイミングで、1号社員として現取締役の中野が入社してくれた。当時、不確かで不安定な日々だったので俺は採用するのに反対だったんだよね。何回も倒産しそうになった過去もあるし、これ以上人を不幸にすることはしたくないと思ったからね。でもA氏やB氏は絶対に今採用しないといけないという思いがあって、そこで中野に正社員第一号として入社してもらった。

そこから今のCarelyを作ろう!となったんだけど、これまでいたエンジニアが辞めてしまって、どこかに外注しないと作れない状態だった。1億円の資金調達もしてるからやらないとまずいし、何とかして受託開発の会社さんに依頼をして作ってもらったけど、ここがまた衝撃で!」

中野「ログインしたら画面が遷移しない、クリックして20秒くらい動かないで衝撃的だった。3月にリリースが控えているのにも関わらず、12月時点で動かない!やばい!と焦ったね。」

山田「そこでC氏に出会って、俺は路上でジャンピング土下座して入ってくれ!と頼み込んで無事に入社してもらえた。C氏が"俺が作り直す!"と言って全てを作り変えてくれて、2016年3月にCarely v1としてリリースができた。毎日胃も心臓も痛かった(笑)」

中野「当然その後も問題は山積みで、トラブルも多かった。24時間止まる、画面が壊れてるとかは日常茶飯事。

とある企業にトライアル営業に行った際、コンセプトは褒めてもらえたんだよね。チャット対応も素晴らしいと。ただ、如何せん"プロダクトが残念すぎる”と正直にフィードバックを貰った。今思えば有難いフィードバックだったけど、当時は"そんなこと言ったって!"みたいなのは思ってた。切羽詰まってるんだよ、常に(笑)」

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山田「だからこそ、今の何か問題がおきても粛々とすぐに対応できる磐石な体制が今だに信じられなくて、奇跡だと思ってる。過去のこの経験があると特にそう思う。今いるメンバーにも感謝!」

中野「その後は皆で健診センターに予約取る、いわゆる健診予約代行ということをやっていた。ひたすら電話をかけて予約を取っていくスタイルなので超アナログだよね。このタイミングでCTOも退職してしまい、再度開発もストップしてしまっていた。

このタイミングでCarely利用企業も50社、利用ユーザー数も1万人突破したけども、実際はほぼ産業医の案件に含まれている状態でほぼアクティブではなかった。」

山田「その後、2017年に石野が入社してくれて、トータルで7,8人の組織になった。ようやくここで会社らしい会社になってきたな、という感じ。石野が入ったというだけで組織が変わったし、本当の創業はここかもしれない。でもまだこの時点ではきちんとした今みたいな会社らしいiCAREではないね。」

クレドの誕生と第二創業期

- クレドはどうやって生まれた?

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山田「少し遡って人数がまだ一桁だった時代に、自分たちがどんな人と一緒に働きたいかをテキスト化しておこうと思い、2015年12月の合宿の中で現在の"楽しまなければプロじゃない"というクレドに決定した。そこから6年経つけど当時から今まで唯一クレドだけが変わってない。ビジョン、ミッション、バリューは2,3回変わったり、途中で生まれたり。

"働くひとの健康を創り生産性の高い社会を実現する"が一番最初のビジョンで、その後中野が入社した時は"働くひとの健康を作る"だった。
ちゃんと制定する前は"ワクワクした社会をつくる"みたいなのだった(笑)」

中野「ワクワクって何だよ!山田洋太のワクワクするブログじゃん!(笑)」
※山田は昔"わくわく働くひとを応援する産業医のブログ"をやっていました

山田「当時から巡り巡って10周位して今に至るけど、結局想いは変わってない。それは俺達が今後どんなに成長して大きくなっていったとしても変わらないし、ポリシーとして胸に持ち続けていくと決めている。」

石野「このクレドがあったから、採用の訴求はスムーズにいった。採用目的で決めた訳ではないけど、こういう人と働きたい!という指標が明確に分かるし、候補者もイメージしやすいと思うんだよね。選考の観点として重要なポイントの一つとして今もみてる。」

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山田「こうしてみると、この10年で出会った人は本当に沢山いて、全員にドラマがある。今のiCAREがあるのも、これまで関わってくれた人が沢山いるから成り立っている訳であって、思い出すと涙が出る(笑)もちろん今は泣かないけどね。まだこれから道も長いから、今泣いてる暇なんてない。

これは会社と言えるのか?という時代からいてくれる人たちが、今となって中心核で活躍してくれているのも嬉しい。本当にありがたいね。」

中野「振り返ってみて、上手くいっているときほど覚えていなくて、上手くいってない時こそ鮮明に一つ一つの出来事を覚えている。今でこそこうして笑える話になったけど、当時は絶望しかなかったことも沢山あった。」

荻野「その時代の会社って赤ん坊みたいなもんだよね。放っておいたら死んでしまうし。手はかかるし大変だけど、その分思い入れもある。」

石野「1つ1つのドラマが濃すぎて、この記事1本では100%収まりきらない!このメンバーで語り出したら2日かかるから!」

山田「本当に今のiCAREは安定してるよ、昔と比べたら全然いいよ、皆大好き!(笑)」

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痛みと引き換えに、経営者としての覚悟をくれた出来事

- これまでの10年で一番記憶に残っている出来事は?

山田「過去に、創業メンバーでクレド違反があって、いろいろ考えた末に辞めてもらったという経緯があった。

事業を大きくしていく中で、上司だった彼からの"育ってほしい"という思いと、部下からの"もう十分育っている"という思いのすれ違いが起きていた時があった。怒号も飛び交いとても張り詰めていた状態の中で、ついに彼の部下であったメンバーから"辞める"という言葉が出た。それはメンバーが辞めると同時に、彼が持っていた案件も終了してしまうという、会社にとってはどちらも失うこともできない地獄のような状態で、必死に考えたけど、俺は何が正解かが分からなかった。

その時に石野や中野にも相談し、クレドに照らし合わせて、彼を出勤停止にした。取締役だろうがなんだろうが、クレドに反する行為をしたことは間違いないから、結果としてその創業メンバーと案件を担当していたメンバーのどちらもがいなくなってしまったけど、この時の判断で自分が経営者であるということを認識したと思っている。和田さん(インキュベイトファンド)からも、「あの出来事が山田をCEOに成長させた」と言われた。

全員が"やるしかない"と覚悟を決めた瞬間

- それぞれが経営者になると覚悟を決めたタイミングは?

山田「会社をやっていたけど、これまでは部活とかサークルみたいな感じだったんだよね。自分が会社の頭だという覚悟を決めたのはあの出来事があったからこそ。親友に対して、会社として判断をして、自分に対しても大きな痛みだった。この経緯と形がいいのかは分からないけど、言葉に表せない位感謝している。現に、今でも彼とは連絡は取ってない。元気かな。」

中野「ペーペーの従業員だった自分が明確に経営者(※)として意識しはじめたのが、とある商談の帰りに、山田から駅のホームで"セールスマーケ部長をお前に任せる"と言われた時。2018年の4月に俺は4年後にiCAREを辞めると公言していて、それに対して山田が"何をやってもいい、全て任せる。けど、下のメンバー達に俺はいつか辞めるんだとはもう言うなよ。上に立つ人間がそんなこと言ってたら誰もついてこないから"と言われ、ハッとした。そこで一気にスイッチが切り替わって、そこからは辞めるとは一回も言ってない。」

※2019年1月にSales&Marketing部長、同年9月に執行役員、2020年8月に取締役に就任

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山田「駅の改札の前だよね、今でも覚えてる!
この時の中野は、"はい"とも返事せず、何も言わず、澄んだ目で返事をしていた。その目を見て俺も、"中野は覚悟が決まったな"と感じた。」

石野「俺は入社した瞬間かも。当時、扉を蹴ったら壊れそうな小さなオフィスに来た時、"本当に大丈夫か・・・"と思ったけど、同時に"やるしかない"と覚悟が決まった。モチベーションとかそんなくだらないものじゃなくて、もう"やる"という選択肢しかなかった。そこから現在までその覚悟は変わってないかな。」

荻野「CTOになる前はマネージャーで入社したけど、入ってみたらまあ大変で。あれこれやっている間にCTOとして声をかけてもらった。自分がこの役目に足りているとは思ってないけど、そういうことをやる役目の人が今のiCAREには必要だというのだけは分かっていて、俺にはちょっと無理があるなと思いつつも受けた。よしさん(石野)と同じで、"誰かがやるしかない、それなら俺がやる"と決めて、自分もそこが起点かもしれない。」

あとね、今日これ聞いておいて本当によかった!今年の3月入社だから過去のことはそこまで詳しく知らないし、またひとつ自分の中でも意識が変わって視座も上がった気がする。ありがとうございます。」

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カンパニーケアの常識を変える

- 今後、どんな人と一緒に働きたい?

石野「これ、ここにいる誰が答えても一緒だと思う。クレドにマッチしているかしかない。」

山田「それはもう大前提としてあるね。付け足すとすれば、"クレド×事業成長を楽しめる人"というところかな。当時の感覚でいうと、"楽しまなければプロじゃない"というクレドは、成長していくカオスな環境を楽しみながら挑戦していって、仲間と一緒に作り上げていくのをやっていこう、そうすれば自ずとも家族にも誇れるようになるでしょ?というのがベースにある。

最近は少しフェーズが変わってきて、クレドがベースにあるまま、事業成長というものに興味を持って、失敗を恐れず挑戦をしていきたい人というのが理想かな。」

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中野「事業成長という見方だと、iCAREの中でも部門によっては0-1,1-10,10-100とかいろんなフェーズに分かれている。既存の事業を更に伸ばす、新規事業を立ち上げる。チームによって雰囲気も戦略も異なるから面白い。

それもあって、単純に今の事業フェーズを伸ばせる方に来て欲しい!とだけは言えないかな。一つだけ言えるとするなら、事業成長を自分の自己成長として捉えられて、それを楽しいと思えるかというのが大事。」

山田「これまでの自分の経験、スキルなどは一旦真っさらにして、アンラーニング出来る状態で是非来てほしい。これまでの常識?変えていこうよ。それくらいじゃなきゃカンパニーケアの常識なんて変えられないでしょ!

荻野「とはいえ"楽しまなければプロじゃない"いうのは変わらないから、それに共感してほしい!給料は仕事の我慢代ってよく言われるけど、俺はそうじゃないと思っているし、少なくともiCAREもそうではないと思っている。少しでも仕事は我慢だと感じている人を世の中から減らしていきたいね。我慢だと感じている人、是非iCAREに来て変わってほしい!

- ありがとうございました!

iCAREは10周年を迎え、これから更に加速と成長をしていきます。
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文:採用人事 らびーこと溝呂木

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